【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


世の中について  「活・喝・勝」


自ら生み出す不満と不安

昨日、ミャンマーから日本に帰国しました。今回、私のとても大きな成果としては、ミャンマーの可能性を確実に確認してきたことです。

一言で言えば、ミャンマーは、他の発展途上国と比べ、伸びしろという可能性が極めて大きいということです。悪い見方をすれば、潜在的な大きな可能性に蓋をして、土の中から芽を出そうとするところを押さえつけているのです。

この芽は、大きくて綺麗な大輪の花を咲かせる可能性があることを誰もが知りながら、その花の美しさに恐れを感じているせいなのか、肥よくな栄養がある土壌に、敢えて苦々しい肥料を与えられ、花が咲くのを遅らせているかのようです。

このように感じるのは、ミャンマー人の賢さと、そして優しさ、さらには、中国とインドという二大国に挟まれたハブ国としての優位性があるからです。

ミャンマーは、政治的混乱のために、大きな遅れを余儀なくされました。しかし、今、ミャンマーは、その遅れを取り戻すかのように、大きな変革を果たそうとしています。

そのような状況を目にした後に、日本に戻ってみると、事業仕分けとやらで、借金大国ニッポンがあらわになろうとしています。

日本は今、誰しもが、このままでは衰退してしまうことを知っています。閉塞感があり、それを打破しなければならないことも知っています。誰もが内向きではダメで、外に出なければならないことも知っています。

しかし、誰もが知っているのにも関わらず、誰もが今のままではいけないということを認識しながらも、なぜか、それを行動で示すことができないのです。

その姿は、とても貧しいながらも必死で生き延びようとしているミャンマーから眺めると、あまりにも贅沢な悩みで、あまりにも馬鹿げた、滑稽にさえ思えるほどなのです。

日本人は、老人も労働者も、若者も、国にすがって、「与えてくれ」と叫んでいるだけで、あたかも配給の少なさに不満を言っているように見てしまうのです。

人間は、「与えてくれ」と、国や、社会、あるいは会社に、要求や権利を突きつけることに労力を使い、豊かな国になった日本を皆で食いつぶそうとしているかのようです。

日本は、間違いなく豊かな国です。道には街灯があり、店には食べ物が並び、服を着ていない人などいません。

今、世界には、1日1ドル以下で生活している絶対的貧困者は、世界人口の約1/3にあたる約12億人にもいます。さらに、世界人口の約半分は、1日2ドル未満で暮らしているのです。

それに対し、明らかに日本は、絶対貧困ではありません。間違いなく豊かな国です。ところが、最近は、絶対貧困とは別の指標である相対貧困率(中央値の半分の金額未満の所得しかない人口が全人口に占める比率)を持ち出して、貧困者が多いことが言われています。

日本の相対貧困率が上昇していることは知っております。しかし、絶対貧困の状態と、そもそも、中央値の半分の金額未満の所得しかない人の割合とを比較して、貧困者が多いと決め付けるのは、少し違うのではないかと思うのです。

私は、そのような相対的貧困者を非難するつもりはありませんが、ミャンマーのような絶対貧困者が多数の最貧国を訪れ、見て、話をして、歩いてみると、若者が引きこもったり、フリーターとして働く様子には、あまりにも情けなく思ってしまうのです。

ミャンマーでは、生きることに必死です。しかも、自国の政府を信用できないから、頼りにしていません。政府に文句を言っている暇もないほどに、厳しい生活に耐えているのです。

要求や権利を主張することよりも、自らが考え、自らが食べるために歩き回っているのです。もちろん、国や社会に不満も不安もあることでしょう。しかし、与えられるのを待っているようでは死んでしまうのです。

それに比べ、今の、日本は、皆が与えられるのを待っているかのようです。

誰しもが、このままでは衰退してしまうことを知っておりながら、行動しません。閉塞感を打破しなければならないことも知っているのに、外国に飛び出そうとしません。

誰もが今のままではいけないということを認識しながらも、国や社会、企業、他人が何とかしてくれるだろう、あるいは、何とかするべきだと思っているのです。

日本では、与えられるのを待っていれば死ぬことはないと思っているのでしょう。しかし、このような考え方は、閉塞感を打破できるところか、閉塞感を強めるだけに過ぎないのです。

人間は、与えられることを当たり前のように考え出すと、必ず不満が出ます。

会社の評価制度でも、絶対評価と、相対評価を良く理解し、組み合わせて適用しないと、自分よりも1円でも多くもらっている人がいると、その人のことも、評価した人のことも許せなくなるのです。

自分の成果が正しく評価されていないことに不満に思い、自分の成果を1円でも多くしようという気持ちになれないのです。

つまり、閉塞感を自らが創生しているのです。自らが、行動しない、行動したくない理由を見つけ、自分ではないどこか、会社や他人の問題にすることで、それを正当化しようとしてしまうのです。

与えてもらうのではなく、自らが食うために、生きるために、勝ち取ろうとする意欲を持たなければならないのです。

私は、反省と感謝という言葉をしばしば用います。反省は、他人のせいにせず、自らのせいにすることで、改善を促し、成長を促します。

感謝は、与えられたからするのではなく、仮に自らの力で得たとしても、お互いに得られた喜びを分かち合い、得た相手に感謝することなのです。

しかし、得たのではなく、与えられたという意識であると、感謝どころか不満のほうが先に出て、仕舞いには憎しみさえ変ってしまうのです。

つまり、今の日本は、自らが反省も感謝もすることをせず、他人、他者に、不満を持ち、その不満に応えてもらえないことへの苛立ちを覚え、そして、将来が不安になっていっていると思うのです。

他人や、国、社会のせいにすることは簡単です。しかし、それらに頼り、すがり、寄り添っても何ら解決しません。

本来、社会的に立場の弱い人たちを救済するのが国の役割ですが、もはやその力は日本にはなく、それなのに、その弱体した国家を、国民が寄ってたかって食いつぶそうとしては、数年ももたないことでしょう。

(次回に続く)

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投稿者 :堀田信弘: 2010年10月30日 05:43