先日、東京でリビア人の青年と出会いました。彼は、リビアの首都にあるトリポリ大学を首席で卒業し、国費で日本の大学、大学院を出た人です。
リビアは、北アフリカに位置し、東にエジプト、西にアルジェリアがあります。地中海に面し、海を隔ててイタリアがあります。元々はイタリアの植民地でもありました。国土の大部分はサハラ砂漠の一部だそうです。
日本語での正式名称は、大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国です。イスラム教を国教としています。
1969年の革命以来、革命指導者の称号を持つムアンマル・アル=カッザーフィー(カッザーフィー大佐)が事実上の国家元首で、事実上、国政実権を握っており、世界で最も長く政権を維持している人です。
1999年まで国連の経済制裁が続いていましたが、現在は解除され、経済状況が急激に回復してきているそうです。石油の産油国で、埋蔵量はアフリカ最大であり、リビアの一人当たりのGDPは16,000ドルを越え、アフリカで最も裕福だそうです。
そんなリビア出身の彼ですが、彼の話によれば、現在東京には、大使館職員以外のリビア人は、彼一人しかいないそうです。また、リビアに、日本人は30名ほどしかいないとか。
来年には、リビアに行って、確かめてこようと考えています。私は、エジプトに行ったことがありますが、ピラミット、ナイル川、そして、沢山のベンツが走る傍を、ラクダが歩いていたのを記憶しています。
それを思い出すと、ギリシャ神殿やローマの遺跡などの世界遺産があるリビアにはとても興味があります。
そんな中で、わずか数人しかいないリビア人の彼と出会ったのは奇跡のようなものです。
そもそも考えてみれば、地球上に住む60億人もの人のうち、一生のうちに出会えるのはほんの僅かです。特別にリビア人でなくても、誰かと出会う可能性は、60億分の1の確率であることは間違いないのです。
出会いは、誰とであっても奇跡的なことなのです。
今、この瞬間、地球上において、この職場で顔を合わせて働いていることさえも、確率的に考えれば、奇跡的な出来事の何ものでもありません。さらには、10年後、この顔ぶれが同じである確率は、限りなくゼロに近いことでしょう。
つまり、出会いも奇跡的なことならば、一緒にいることはもっともっと奇跡的なことなのです。
このように考えれば、出会いも、そして、ここにいることも、単なる偶然ではなく、運命よって吸い寄せられるように集まったとも言えるかも知れません。出会うべきして出会い、集まるべき集まったのです。しかも、それは、それぞれの自分の意思によるものなのです。
ここに来れば、誰と出会うかということなど考えてはいないことでしょう。まさか、こんな相性が悪い人がいるなんて、考えてもみなかったということもあることでしょう。しかし、その逆に、一生の伴侶となる人と出会い、結ばれる人もいるのです。
さらには、"今はこんなに仲が良いのに"、数年後には、険悪な関係になってしまうこともあるでしょう。しかし、考えてみれば、ここに集まらなければそんなことすら起きえなかったのです。ここに来て出会ったのは、誰のせいでもないのです。
しかも、自分では、そのような嫌な人がいることなど考えもしなかったかも知れませんが、ここに来ると決めたのは、自分で判断してここに来たのに違いは無いのです。
その考えの多少の違いはあるにしろ、地球に60億人もいる中で、同じような、似たような考えを持った人が偶々一緒になったのです。これは、もはや偶然ではなく、自ら選んだ必然なのです。
私がリビア人と出会ったのも偶然ではなく、必然だと思っています。私は、できるだけ多くの外国人、できれば出会うことが少ない外国人と出会いたいという気持ちを持っています。そんな気持ちを持っているから、会えたのです。
会おうとして会ったとも言えるでしょう。誰と会うかなどその時点では判りませんが、会いたい、という気持ちが、会えるように引き寄せたのでしょう。会うべきして、会ったとも言えるのです。
もし、何らそのような気持ちもなければ、リビア人と会うことなどあり得ないでしょう。仮に、そのような気持ちもなく、偶々会ったとしても、この60億人の中で、会えたのは、何らかの共通点か、何らかの運命がそうさせたのだと思います。
そうでなければ、60億人のうちの一人と出会うことなど、出来ないのです。それが出会いというものであり、偶然ではなく、必然なのだと思うのです。
しかも、どんなに王様と会おうと思っても、会いたいと思う側が、会う側と釣り合わなければ会えません。自分が、会うに相応しい状態になっていなければ、ならないのです。
大金持ちの人は、大金持ちの人と交流します。貴族は、貴族と交流します。それは、差別だ、階級社会がおかしいと叫んでも、現実には、その層は、その層と出会うほうが自然なのです。
これは、何も階級社会を容認し、階級から外れた人を排除するような考えではありません。
それなりの人が、それなりの人と出会えるという意味なのです。どんなに自分が会いたいと願っても、自分がその人と会うに相応しい存在になっていなければ、出会うことはできないのです。つまり出会いとは、お互いの感覚が一致した時にだけ会えるものなのです。
野球選手は、野球選手と出会い、芸能人は芸能人と出会うのです。それは、それぞれが会う環境にあり、会うことに意味があるからだと思うのです。出会いとはそのようなものではないでしょか。
そして、もっと難しいことは、仮に出会えても、その後に、継続的にお付き合いができる割合は、極めて少ないということです。
出会うまでは、紹介してもらうなどで可能になるかも知れませんが、やっとの思いで出会ったとしても、それ以降継続することは、本人次第であり、かつお互いの相性次第なのです。だから、偶然に出会えたとしても、付き合いを継続するのは、必然的なものなのです。
私の場合で言えば、できるだけ出会う機会が少ない外国人と出会いたいと考えています。考えているからこそ、出会えるような行動をしています。そして、出会った時には、その奇跡とも言えることを、できるだけ大切に、貴重にしたいと思うのです。
(次回に続く)
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投稿者 :堀田信弘: 2010年11月29日 05:49