【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


若者について  「活・喝・勝」


若者よ行動しよう

若者が選挙に行かないのはなぜなのでしょうか。選挙に行かないということは、つまり政治に関心がない、もっと言えば、国がどうなっても関係ないとも言えるでしょう。

でも、本気で、国がどうなっても関係ないと思っているのでしょうか。

「今の若者は....」という言葉がありますが、昔の若者はどうだったのでしょう。

衆議院選挙の世代別投票率というのを過去に遡って調べてみました。

第31回総選挙(昭和42年)のデータを見ると、20代の投票率は66.7%でした。参考までにこの時に最も投票率が高い世代は、50代で81.3%でした。逆に最も低い世代は、70代以上で、56.8%で、現在最も選挙率の高い60代は、20代に次ぐ77.0%でした。

昭和42年といえば、まだ高度成長期にあった時代です。この時代は、働き盛りの50代、40代の選挙率が高く、20代の若者も70代以上の年寄りよりも高い投票率だったのです。

今から、40年ほど前は、若者の2/3が選挙に行き、少なくても関心があったのは間違いありません。

しかし、昭和42年のこの選挙を最後に、20代の若者の選挙率が下落を続けます。一方、70代の投票率は、最下位から、翌32回総選挙の時に20代の投票率を抜くと、以後グングンと投票率があがり、第41回(平成8年)にはついに世代別で上位3位になったのです。

その第41回の20代の投票率は、36.4%まで下がり、最も投票率が高い60代の77.3%の半分にも満たなくなったのです。

世代別投票率は、将来を左右します。しかも、現代の日本では、少子高齢化社会になっていますから、単に投票率だけでなく、投票数が大きく異なってくるのです。

人口構成の多い60代、70代の投票率が70%を超えていて、人口構成が最も少ない20代、30代の投票率が30%台ならば、折角投票した若者の意思は、全体の1/5ほどにしかならないのです。

つまり、今の日本の政治は、4/5を占める50代以上の意思によって国民の代表が選ばれ、その世代が関心を占める政治課題が優先されるということなのです。

自業自得という言葉を使うのはあまりにも厳しすぎるかも知れませんが、若者が政治に関心を持たなければ世の中が変わらず、現在のような閉塞状態を生んでいるのも若者の責任によるところは大きいのです。

現実に、40年前に20代だった若者は60代になっており、30年前に20代だった若者は50代になっている訳です。今の若者は、明らかに昔の若者よりも政治に関心が薄く、20年前に20代だった私の頃でさえ、60%近い投票率があったのです。

きっとこの内容を読んだ若者は、投票しても変わらないと反論するかも知れません。しかし、変わらないとこのまま放置すれば、これから先も高齢者向けの政治が続き、若者の負担は益々増えるだけで、日本の若者は疲れ果ててしまうはずです。

若者が声を上げ、将来を担う若者向けの政治に転換しなければ、国の活気も生まれないのです。そのためには、働き、そして子育てをして大変な思いをしている若者が優遇されるように、若者自身が政治に関心を示さなければならないのです。

若者は、一生懸命に働いて、お金を稼ぎ、そして育児などのためのお金を使います。しかし、最も投票に行っている年寄りは、お金を稼がず、将来不安のためのお金も使いません。

しかし、彼らは、投票に行って、自ら政治家を選んでいるから、文句が言えるのです。関心もなく、行動もしないで文句を言うことはできません。しかし、文句を言わなければ何も変わらないのです。行動しなければ、何の変化も起きないのです。

例えば、今、日本では年金問題が非常に大きく取り上げられています。それは、その年金の対象となる世代の人が多いからです。

選挙に行く彼ら世代の声を無視する訳には行かないのです。年寄りを苦しめるというようなことを言っているのではありませんが、働いている若い世代が苦しい生活をしているのに、働いていない年寄りのために税金が使われるのは公平ではありません。

さらに、年金受給年齢をずらすことが議論されていますが、それを実現するには、あわせて定年制の延期も同時に行わなければなりません。

もし、定年制を延長すれば、若者の雇用機会が減少するだけでなく、日本の企業は、日本の縮図と同じく、急速に少子高齢化型企業になって行くのは間違いないです。

今の日本の国が、若い人が多い新興国にどんどん追いつかれて、抜かれようとしているのと同様に、このままでは企業も、若い人が多い会社に負けてしまうのです。

私は、ここまで若者を、20代、30代というような言い方で、年齢を示してきました。しかし、学生運動を経験された50代、60代の人と接すると、今でも変わらずに若い、と感じることがあります。

むしろ、政治にも関心がなく、将来に希望も感じない20代、30代の人たちに、勢いという若々しさを感じません。

私の大好きなサムエル ウルマンの青春の詩には、

人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。

人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。

希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。

とあります。どんなに20代でも信念と、自信と、希望がなければ若者とは言えません。無関心、無気力というのは、年寄りのことなのです。

サムエル ウルマンは、この詩を70代になってから書いたと言われています。私が70代になるには、まだ20年以上もありますが、20代と70代の中間に位置する世代にいると、何となく若い世代に頑張ってほしいという気持ちは判るような気がします。

私たちのように過ぎ去ってしまった世代は、これからの世代に期待するしかありません。しかし、今、その世代に真っ只中にいる人たちは、やろうと思えば、何でもできる世代なのです。

サムエル ウルマンが言うように、若さというのは年齢ではありません。しかし、現実に、年齢と共に家庭ができたり、親の面倒を見るようになったり、あるいは自分自身の体力が衰えて来たりするのも事実です。

精神的な若さは、年齢よりも若く保とうとすることはできても、自分を取り巻く環境はどんどん変化して行ってしまうのです。

その取り巻く環境や、自由度の高い世代が、本当の若者なのです。その旬を何となく過ぎ去ってしまうことはもったいないことです。

失うこともなく、得るものしかない、これこそが若者ではないでしょうか。私も、もう一度、そのような人生を歩んでみたいものです。

(次回に続く)

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2011年2月 9日 05:06