【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


嬉しい出来事  「活・喝・勝」


幸せと自分らしさ

「人生を楽しむ」と言ってもどうしたら良いのでしょうね。面白い記事を見つけたので、長文ですが、そのまま転記して紹介させて頂きます。

ある会社の社長が亡くなりました。心臓マヒ。いきなりの死亡でした。社長は林の中を歩いていましたが、突然きれいなお花畑に出ました。美しい青空、寒くなく暑くなく、とても気分が良いところです。

お花畑の向こう、感覚的には100メートルほど先に、川が流れていました。お花畑に出たとたんに、どこからか声が聞こえてきました。

男の声、女の声、どちらとも言えず、荘厳とかおごそかとか、そういう感じもない。といって、冷たい事務的な声というのでもない。その声は、こう言ったそうです。

「川のほとりまで行ったら、そこであなたの人生について尋ねる。川のほとりまでに、どんな人生だったかを、まとめておきなさい」

この社長は、他人の10倍も20倍も働き、努力して、頑張ってきた人でした。会社も大きくし、従業員も増やした。商工会の役員もやり、名誉や地位も充分に手に入れていました。

「胸を張って、人よりもたくさん努力し、頑張ってきた、と言える。それなりの成果、実績、数字も達成してきた」と思ったそうです。

川のほとりまで来ました。いわゆる「三途の川」でしょうか。

再び、「あの声」が聞こえてきました。「それでは、あなたの人生について聞く。答えの用意はできたか」

胸を張って、社長は、「はい」と答えました。何でも聞いて下さい、たくさんのことをやってきた。恥ずべきことはないし、自慢できることは多い。誇らしい気持ちで質問を待ったそうです。

「それでは聞く。人生を、どれほど楽しんできたか」

社長は絶句しました。答えられなかった。

人生を楽しもう、と思ったことはなかったし、楽しんだこともなかった。従業員をどなりつけ、家族に対しても厳しかった。自分に厳しく生きてきた分、社長はまわりの人にも常に、厳しく当たってきました。「楽しむ」という概念は、社長の人生には、なかったのです。

答えられずに、絶句していました。

「あの声」は、こう言ったそうです。

「あなたは人生について考えちがいをしていました。もう一度、やり直しなさい」

え、っと思った瞬間に目がさめました。

生き返ってしまったのです。完全に心臓が止まり、死んでいたのに、生き返りました。

そして社長はその後、全くちがう人格の人になり、ニコニコして楽しい、誰からもその存在が喜ばれる人になりました。

"魂"は進化します。しかし"魂"だけのときは進化しません。進化するためには肉体が必要です。肉体の存在を通してのみ、私たちは進化することができます。

"魂"が未熟なときは、病気や事故、出来事、現象について、「つらい」「苦しい」ととらえます。"魂"が進化すると、出来事全てに「楽しい」と思い、「おかげで成長できた」「ありがたい」と思えるようになります。

「未熟」と「進化」の中間に、「修行」ととらえる期間があります。「人生はいろいろな修行の場」ととらえることで、「つらい」「苦しい」という感覚からは卒業できますが、本来の人生は「修行」のために設定されているものではありません。

「人生は楽しむもの」なのです。

私は、この文章を読んだ時、果たして自分は人生を楽しんでいるのだろうかと自問自答してしまいました。

ついでに、この文章を書いた小林正観さんの著書『人生を楽しむための30の法則』という本で、小林さんは、幸せという現象は、"私が感じたときだけ存在する"と言っています。

また、今の状況に文句をいわず黙々とやる人は、信頼され、成功失敗も、敵味方も、全部自分が決めていて、すべての存在が自分の味方だと思った瞬間から、世界は一変するのだそうで。

本当の幸せは自己達成ではなく、愛情に満ちた人に囲まれていることです、と書いてあります。

皆さんは、自分が三途の川の目の前に来たら、堂々と「楽しい人生でした」と言えるでしょうか。

少し無理していませんか。

頑張り過ぎていないでしょうか。もう少しだけ肩の力を抜いたらどうですか。

私は、そのように自問自答しました。

そして、もう少しおおらかで、人を許し、認め、毎日笑って過ごせるような日々を送りたいものだと考えさせられました。

人生には、嫌なことも辛いことも起こります。自分の力ではどうしようもできないことも起こるのです。どんなに頑張っていても、頑張っていなくても、良いことも起こるし、裏切られることも起こるのです。

完璧を目指しても、完璧にならないことのほうが多いし、だからと言って完璧を目指さなければ、最初から完璧には絶対にならないのも事実です。しかし、完璧ということ事態が、この世にないと思えば、完璧にならなくても、驚くべきことでもないのです。

騙そうとしなくても、騙されたと文句を言ってくる人もいれば、信じようとしたのに、騙されることもあります。しかし、どちらの場合でも、元々上手く行かなかったという結果から考えれば、騙すも、騙されるもなく、ただただ上手く行かなかっただけなのです。

幸せという現象は、私が感じたときだけ存在する、この言葉は、とても意味がある言葉です。幸せに定義はありません。アフリカの飢餓で苦しむ国民からすれば、日本人の大半は、幸せに違いありません。

しかし、その飢餓で苦しむ人々は、日本人の自殺する割合の多さを聞いて、どんなに苦しい社会で生きているのだろうと考え、自分たちのほうが幸せだと感じるかも知れません。

私の長男は、重度の障害者ですが、障害者の息子を持ったことが不幸せなのではないのです。仮に、健常者の長男であっても、世の中には、子が親を殺す位に憎みあう親子もあるでしょうし、わずか高校を中退しただけでも悲観的になってしまうこともあるでしょう。

幸せというのは、まさに自分自身が決めることであり、それをどう感じるかが重要なのだと思います。結婚することが幸せの全てでもなければ、離婚することが不幸でもないのです。自分が自分らしく、人生を楽しめれば良いのです。自分らしさが最も重要なのです。

(次回に続く)

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2011年2月15日 05:08