女性が男性の浮気を第六感で発見できるのは、好きな男性の行動パターンが正確にインプットされていて、日ごろの何気ない行動から、わずかなことに疑問をもち、全5感を神経して感じ取ろうとしているからではないでしょうか。
ただこれは実際には、第六感とか直感というよりは、現状分析力のことです。本来、第六感というのは、ドラマで、靴の紐が偶々切れてしまったのを見て、自分の親が不幸にあった瞬間を感じ取る、というような距離や次元、時間を超えて、見えることができる力です。
私には、そのような第六感がありませんから、そのような超人的な能力の存在を本気で信じている訳ではありませんが、ただ言えるのは、現実として、そのような直感を持った人は少なからずとも存在するということです。
それは、決して超能力者とまでは言いません。預言者でもありませんし、霊能者でもありません。勘が飛び切りに当たるのです。そして、それが山勘のように、当てずっぽうではなく、現象を感じ取るのです。
参考までに、本当かどうか判りませんが、元々女性は、男性よりも第六感が強いと言われているそうです。人類が狩りなどをしていた原始時代、女たちは、洞穴などの家で、子たちを安全に保ちながら男の帰りを待ちました。
いつ動物や、他の部族が訪れるかも知れないという恐怖に耐えながら、女たちは、狭い空間の中にいて、周囲にとても敏感になり、細心の注意を払っていたのです。
危険が間近かに迫ったことを察知する能力、つまり、聞こえも見えもしないのに、危機を感じる直観が研ぎ澄まされていたのです。だから、その時代の五感をフルに活用した結果の、その延長線上で身についた第六感とも言えるDNAが今にも残っているようなのです。
言わば、現状分析力をより強化に磨き、その本質やその先に隠れているものを見抜く洞察力を身に着けることで、さらにその先に第六感が存在するのかも知れません。
しかし、ある説によれば、多くの場合、第六感を磨き、身につけるようなことは不可能だということがあるそうです。
私も正直言って、どんなに現状分析力を磨いて、洞察力を身につけたとしても、距離や次元、時間を超えて、出来事や事象が目の前にあるかのように見える、あるいは感じ取れる力など、普通の人間にはない超人的な能力など、身につかないのではと思います。
何れにしても、ここで神がかりのような話をしても仕方ありません。私のような凡人ができることは、超人的な話ではなく、日常の中で、少なくても同じ凡人であっても、誰よりも優れた現状分析力や、洞察力を身に着けることのほうがより現実的なことです。
もし、本当に男性よりも女性のほうが、第六感が鋭いとして、かつその理由が、原始時代に現状を分析する力があり、洞察力が高かったからというのであれば、例え、その先の第六感が身につかなくても、第5.5感程度の意味はあるでしょう。
私たち普通の人間に重要ことは、距離や次元、時間を超えて、将来や未来を見えるようにすることではありません。
もし仮に原始時代に、第六感が強い人だけが、身を守ることができて、第六感がない凡人が先に滅ぼされたとしても、それでもその第六感の強い人でさえも、その何年後か、何十年後かには必ず死んでいるのです。
しかも、ほんの先が予想できて、ある危機から逃れることができたり、あるいは、少しだけ他人よりも優位な状況を先に掴めたとしても、長い人生の中で、未来を感じ取る力に比べたら、現状を分析する力のほうが遥かに機会が多いのではないのかと思うのです。
私は、成功している人は第六感が強いということを言いました。きっと、稀な才能と先見の目があるのは事実でしょう。
しかし、仮に第六感が強い人であったとしても、それで人を惹きつけ、人を魅了して、人を率いることができるのかと言えば、それは判りません。
それよりも、現状を分析する力があり、洞察力が高く、常に自分を高め、磨こうとしている人のほうのが、どんなに第六感がないにしても、きっと凡人である多くの普通の人にとっては魅力的に映るのではないでしょうか。
私でも将来を予測したり、感じることができるような第六感を持っていたらどんなに良いことだと思うでしょう。
きっと魔法使い師になったような気分になり、世の中を見下ろすかも知れません。もし、本当に予見できたら、きっと何でも上手く行くと思うことでしょう。
しかし、良く考えてみれば、それは恐ろしいことです。自分が危険に遭うことも予見できますが、自分の周囲にいる身近な人のことまで予見できてしまうのです。
もし、それが自分の最愛なる人だったらどうでしょう。危険から避けるようにすることはできるかも知れませんが、それが病気にかかってしまうことだったら。しかも、あと何日で死んでしまうかさえ見えたとしたら、これほど悲しいことはありません。
人間は、どんなに第六感があっても、なくても、必ず死にます。しかし、神さまは、その日を明確にしていません。
仮に、今日、癌だと医者から通告され、数ヶ月の余命だと言われたとしても、その日が何月何日かなど、誰にも判らないのです。
判らないから私たちは、生きていけるのです。今なんでもない人が、数年後の何日に亡くなると知ったら、私たちは、どうしたら良いのでしょう。
何れ必ず死ぬのが人間で、生まれた瞬間から誰もが死に向かってカウントダウンをしているのですが、それでも、誰も、いつ死ぬなどということなど考えて生きているのではないのです。
このように考えると、第六感とやらがあったとしても、さすがに自分の死まで予測することなどできないのでしょうね。あるいは、仮にできたとしても、恐ろしくて、自分の死だけは予測しないのかも知れません。
その程度のことなのですから、私たち普通の人間は、未来を予測するなどと神に刃向かうようなことなどあまり意味がないことです。
それよりも私たちは、今をどう生きるか、真剣に考えて行動したほうが余ほど精神的に良いことです。
過ぎ去った過去に引きずられるのも良くないですが、まだ来ない未来に不安になっていても仕方ありません。
もしかしたら、誰でも明日交通事故に遭うかも知れないのです。明日のこの時間は、もうこの世にいないかも知れないのです。どうせ不安に感じるのなら、不安になって引きこもっているよりも、今を、今日を思い切り生きたいものです。
できれば、楽しい日にしたいです。そのためには、今日も生きていることに感謝しないといけないのでしょうね。生きていることだけ、それだけでラッキーなのですよ。
(次回に続く)
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投稿者 :堀田信弘: 2011年2月25日 05:11