【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


世の中について  「活・喝・勝」


諸行無常

どうして人は、幸せになれないのでしょう。どうして人は、苦しむのでしょうか。そもそも幸せというのは、どのような状態のことを言うのでしょう。

何も悪いことをしていないのに、とても苦しい境遇の中にあって、苦しんでいる人のことを知ると、幸せというのはどういう状態を言うのか、改めて考えさせられてしまいます。

結婚したり、子供が生まれたりした瞬間、つまり、嬉しいことがあった状態は、明らかに幸せなことでしょう。しかし、毎日毎日嬉しいことがある訳ではなく、とても仲の良い夫婦でも喧嘩をしたり、子供が怪我をしたりと、生活していると様々なことが起こります。

では、嬉しいことがあった日が幸せだというのなら、嬉しいことが起こらなかった日は、幸せではないのでしょうか。幸せではないということは、不幸せということでしょうか。

そうとも言えないでしょう。夫婦喧嘩をしたり、子供が怪我をした日というのは、嫌な出来事があった日かも知れませんが、だからと言って、不幸せとは言えません。

それなら、夫婦喧嘩もしていないし、子供も怪我をしていない、何の良いことも、悪いことも起こらなかった日は、幸せなのでしょうか、不幸せなのでしょうか。

幸せなのです、と言えるでしょうか。

世の中には、様々な人がいます。毎日、毎日、家を出て、職場に向かう人もいます。中には、とても楽しい職場で、毎日活き活きして生活できている人もいるでしょう。

中には、毎日家を出るのは一緒でも、嫌な職場で、いじめのような目に遭っている人もいるかも知れません。

あるいは、毎日家を出ずに、家で仕事をしている人もいるでしょう。家で自分の趣味を活かした仕事をしている人もいるかも知れませんし、親の看病をするために、仕方なく仕事を辞めて家にいる人もいるかも知れません。

私たちが、外から見て、どの人が幸せで、どの人が不幸せだ何て言うことはできません。いつも明るく元気な様子に見えても、とても苦しく悩んでいる人もいれば、今にも泣き出したいくらい懸命に我慢している人もいることでしょう。

どうして人は苦しむのでしょう。もし、今、苦しくないとしたら、きっとそれが幸せな状態なのかも知れません。それなのに、どうして、苦しまなければならないのでしょう。

お釈迦様は、この質問に対し、諸行無常だからと応えました。

この世の全てのものは、姿も本質も常に流動変化するもの、それが、諸行無常という言葉の意味することです。

赤ちゃんは子供になり、子供は大人になり、大人はやがて老人になります。 誰も、この変化に逆らえる人はいません。

一瞬といえども、存在は同一性を保持することができないのです。こうしている間に、刻々と状態は変化し、既に一時間前と今とでは、もう違う世界になっているのです。

一時間前のことは、もう過ぎ去った過去のことです。お釈迦様は、刻々と状態は変化しているのに、良い状態を保持したいと思うから苦しいのだと説いています。

人は生滅の法は苦であるとされているが、生滅するから苦なのではない。生滅する存在であるにもかかわらず、それを常住なものであると観るから苦が生じるのである、と言うのが仏教の考え方です。

刻々と状態が変化していることを、ありのままに、そのまま自然なことと受け入れることができたら、そこに苦はないのかも知れません。

しかし、私たちのような凡人や、まして私のような宗教に熱心でもない人間が、そのような無の気持ちになって受け入れるなどというのは簡単ではありません。

生きていれば様々な出来事が起こり、良いことも、悪いことも、好む、好まざるに関わらずに、やってくるのです。

そのことは、お釈迦様が言うように、運が良くても、悪くても、決して止めることなどできないのです。

明日のこの時間を向かえる間には、世界中で何万人もの人が生まれ、何万人もの人が亡くなっていることでしょう。

世界中のあちこちで、嬉しいことや、悲しいことが無数に発生するのです。わずか一日の間に、この世にいる全てのもの、植物、動物、そして人間が、変化するのです。そして、その変化によって、時には自分では止められないうねりが生まれるかも知れません。

ある国では、今までの地位がひっくり返るようなことが起こるかも知れませんし、ある村では、自然災害が起こり、一瞬にして全ての財産を失うかも知れません。

今からわずか一日という短い時間の間でも、この世の世界という地球レベルで見ると、劇的な変化が起こるのは間違いないでしょう。

それがいつ自分の身に訪れても、それは自然なことなのです。何もない一日のほうが不思議なくらいで、何かあっても、それが自然な流れなのです。

私たちは、ある意味、自分ではどうしようもできない世界に住んでいるのかも知れません。

その世界は、宇宙から見ると、ほんの小さな点のような地球という石ころなのです。その石ころの上にわずかに動いて見える分子のようなとても小さな存在が、右に行ったり、左に行ったりしているのです。

その様子は、宇宙からはとても観測できないほど、とてもとても小さな存在です。電子顕微鏡で見える分子よりも小さく、仮にその存在が把握できたとしても、それぞれの動きに意味を見出すことなどできないのかも知れません。

それが私たち人間のチッポケな存在なのかも知れません。しかし、私たちの寿命など、地球の寿命からすれば、瞬きにも及ばないほど、ほんの僅かです。何万分の一秒のような一瞬の中で、私たちは、一喜一憂しているのです。

この地球上では、石や岩も永年の風雪で砕けたり削られて形を変えていきます。どっしりして見える山も、何百年、何千年という永い間に変化しています。どんな物でも、時間とともに刻々と変化しているのです。

だから、幸せになる、ということを仮に目的としても、一時的にはその目的は達成できるかも知れませんが、必ず、それは一時的なことであって、いつかその幸せは消え行くものなのです。人は必ず死にますし、永遠ではないのです。

私たちは、物やお金、健康や他人に幸せを求めている限り、それは夢のようにはかない幻のようなものなのです。私には、お釈迦様が言う、本当の幸せという意味をまだ正しく理解できていませんが、幸せというのは、形では表せないことだけは判るような気がします。

(次回に続く)

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投稿者 :堀田信弘: 2011年3月 1日 05:52