【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


経営者について  「活・喝・勝」


人生の長さと短さと

地球誕生からの歴史から見ると、人類の歴史などほんのわずかです。その人類の歴史の中における、私たち一人一人の一生というのも、本当に短いものですね。

最近でこそ人生80年と言われていますが、僅か100年ほど前までは、人生60年ほどでした。さらに、100年以上前は、50年足らずです。今から30年も人生というのは短かったのです。

恐らく、その頃の時代には、痴呆症もなければ、癌にもならずに亡くなっていったのかも知れません。幸か不幸か判りませんが、医療の発展に伴って寿命が延び、その結果、これまでにない病気で亡くなるようになったのです。

もし、私が、人生50年ほどの時代に生きていたとしたら、私が人生をかけて命がけで夢中に走り抜けることができる年代は、もはや過ぎ去っています。

引退を前にして、余生を楽しみ、お迎えが来るのを待つような年代を迎えつつあったかも知れません。

もし、そのような時代に生まれていたら、私は、何の足跡も残さずに人生の終焉を迎えようとしていたことでしょう。

幸い、今の時代は人生80年になりました。しかし、現実には、人生50年の時と変わらず、60を過ぎてから80までの間は、人生の終焉を迎えるための時間が、これまでよりも長くなったにしか過ぎないのです。

言い換えれば、人生の中心は、20代から50代までの約30年間です。この30年間に何ができるか、何をしたかというのが、人生の中核になるのです。

しかも、一日24時間、一年365日、一生は約80年と考えると長いように思いますが、この人生の中で、活き活きとして活動でき、昼間目を覚まして起きている時間は、人生の3分の1もないかも知れません。

つまり、残りの3分の2は、ベットに寝ている時間なのです。もし途中で寝たきりの病にでもかかったとすれば、さらに横になっている時間は延びる訳です。

さらに、人生の中核を占める20代から50代までの約30年間に起きて活動している時間は、その3分の1ですから、人生全体の中で、目を覚まして、立って、夢中で走り回っていられる時間というのは、80年間という間の30年間のうちの3分の1、つまり、10年分の時間しかないのです。

自分の人生を彩るための活動時間は、人生の中の僅か10年間分の時間なのです。この時間は、人生という長さで考えても、ほんの僅かな時間です。この10年分の時間の中で、何ができるか、何を考えるかで、人生全体の80年間が定まるのです。

人類の歴史という違った観点から見ると、線香花火よりも短い一瞬の瞬きのような時間しか、私たちの人生には与えられていないのです。

急いで走り抜けようとも、必死にしがみ付いて生き延びようとも、その差はほんの、ほんのわずかです。

ある意味で、早すぎるくらいの人生50年の人も、長生きした80年の人も、その人が残せる功績というのは、それほど大きな差がないのです。前述したとおり、60歳以降は、何歳で死のうが、60歳までに何をするかが人生の特徴なのです。

その特徴の違いというのは、時間の差ではないのです。時間の差は、ほんのわずかな差であっても、線香花火という人生には、それぞれ異なった色の光を出すことができるということではないでしょうか。

ほんの一瞬の輝きであっても、赤もあれば青もあり、その中間の紫のような色を出す人もいるかも知れません。

あるいは、光さえも発することなく、消えて行ってしまうことも多いことでしょう。ほとんどの場合、例え光を放ったとしても、消えているのと同様なくらいに、その明るさは僅かで、全く見えないに等しいことでしょう。

このように考えると、人生というのは、長さではなく、どれだけ特徴ある色が出せるかとも言えるでしょう。その色が例え、見えなくくらいの僅かな明るさであったとしても、自分の色を出してみたいものです。

しかし、私もそうですが、多くの場合、長さや求めたり、色に拘らなかったりするものです。何色でも良いから、ゆっくりと長く生きたいとか、できるだけ美味しいものを食べて楽しく行きたいなど、人生という色への関心はないかも知れません。

このようなことを書きながらも、私は、「こんなことを書いて何になるのだろう。」とついつい、投げ出しそうになってしまいます。

できれば、何もせずに、何も考えずに、何の不満も、何の不安もなく過ごせたらと良いと思ってしまうのです。可能なことなら、何のトラブルもなく、人生のんびり過ごしたいものです。

ところが、ニュースを見ていると、世界中には、若者が政府と対立して自由を求めて戦っている人もいるし、飢餓で苦しむ人々のために危険を犯してまでも世界を飛び回っている人もいます。

先ほどは、言論の自由を求めて、堂々と警察に連行される中国人の若者が写されていました。

私には、彼らのような光輝く存在がとても眩しくて、そして同時に羨ましくて仕方ありません。たった1回限りの一生です、どうせなら私も彼らのように一瞬の光でも良いから輝いてみたいのです。

しかし、私には、同時にその気持ちに水を差すかのように、実際には、自分は何もせずに、できずに、じっとしているだけと嘆いているのです。しかも、評論家のように。

人生というのは、ほんのわずかで、一瞬のような出来事です。しかし、その一瞬のように短い時間でさえも、二度と時を戻すことはできないのです。やり直すことなどできないのです。

こうしている間にも一秒、一秒と時は刻みます。この瞬間、私は、経営者として、自分の色を出しきれているかというと甚だ疑問です。

自分の力のなさ、無能さに、ほどほど嫌気をさします。もっと力があって、行動力があって、そして死ぬ気で生きる覚悟があれば、きっと違った人生を歩めたかも知れないと、情けなく思うものです。

時々、自分が何のために、誰のために生きているのか、何をしたいのか、何を望んでいるのかが判らなくなってしまうことがあります。

恐らく、自分の生き方を考えれば考えるほど、判らなくなるのだと思います。余計なことを考えずに、無我夢中で一気に人生を走ることができたら、もっと楽なのかも知れません。

(次回に続く)

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投稿者 :堀田信弘: 2011年3月 5日 05:53