チベットのダライ・ラマ法王は、精神的指導者であるだけでなく、政治の指導者でもあります。チベットはもちろんのこと、チベット仏教を信仰しているモンゴル、ネパール、ブータンなどのからも仏教の最高指導者として崇拝されているのです。
ダライとは、モンゴル語で「大海」という意味で、ラマはチベット語で「教師」を意味します。つまり、ダライ・ラマという名前自体が、仏教会の最高指導者という意味を表しているのです。
現在のダライ・ラマは、第14世です。第1世から数えて14人目が、ダライ・ラマという名を600年以上も引き継いで名乗っているのです。
チベット仏教では、人間は死んでも生まれ変わる「輪廻転生(りんねてんせい)」が信じられており、死んでも、繰り返し生き変わり死に変わりして転生していると考えられています。
このことは、法王であるダライ・ラマにおいても同様です。法王制度が、世襲制でもなければ、選挙で選ばれるわけでもなく、先代の死後に、次の生まれ変わりの者が後を継ぐのです。
現在のダライ・ラマ14世は、1933年に13世が他界した後に即位しました。本名は、ラモ・トゥンドゥプと言います。
13世が亡くなった後に、直ぐに捜索隊が14世になる、13世の生まれ変わりの者を探し始めました。
13世が亡くなってから3年ほど経過した頃、捜索隊は、旅の途中で、タクツェル村にある1軒の家に今夜泊めて欲しいと伝えました。
すると、その家にいた3歳にも満たない少年が、一行をじっと見つめていました。少年の名は、ラモと言いました。
ラモは、一行の一人が首に巻いていた数珠を触ってマントラの「マニ、マニ」を唱え始めたのです。そして、その数珠を欲しいとせがんだのでした。実は、その数珠はダライ・ラマ13世のものだったのです。
一行はラモに「私が誰だか判るのならあげよう」と言ったところ、ラモは「セラにいる僧侶だ」と答えました。
見事に当てたことに驚き、自分の首にかけてあった数珠を取って、ラモの首にかけると、嬉しそうな笑顔を見せながら「マニ、マニ」と再びマントラを唱えたのでした。
翌朝、一行が出発する時、ラモも一緒に行きたいと泣き出します。一行は、ラモとの再開を約束し、近いうち戻って来ると言いました。そして、直ぐにこの内容を報告することにしました。
それから数日後の大安の日、一行は再びラモのもとを訪れます。そして、一行は、この少年が14世であるかどうかを確かめるために、様々なテストを行います。
例えば、13世が持っていた数珠と同じ種類の数珠と並べ、どちらが本物かを当てさせたりしました。ラモは、次々に当てて、ついに、この少年が13世の生まれ変わりであることを確信したのでした。
一行は、ラモの両親に、ラモが生まれる前後に、何か特別な兆候はなかったかを尋ねました。
すると、誕生する前までは、このタクツェル村では家畜が原因不明で死んだり、作物の不作が続いていて、村民の間では、何か偉い化身が生まれるに違いないという噂が流れていたそうです。
ラモが生まれると直ぐに、寝たきりだったラモの父親が急に元気になりました。また、タクツェル村は平穏で、豊作に変わっていったそうです。
こうして、ラモは、ダライ・ラマ13世の生まれ変わりとして、14世になったのでした。
現世に自分がこうして存在するのは前世の行いの結果であり、現世で善い行いをすれば、その結果は来世に必ずつながるとチベット人は因果応報(いんがおうほう)を信じているのです。
チベットでは、現在でもこうして、因果応報を信じ、輪廻転生を信じ、現実的に実践しているのです。
私には、輪廻転生(りんねてんせい)が本当なのかどうか全く判りません。しかし、何となく、輪廻転生と因果応報とは、綿密な関係があるような気がします。
因果応報というのは、良い行いをした人には良い報い、悪い行いをした人には悪い報いがあるという意味です。輪廻転生というのは、亡くなった人が、再び現世に生まれ、新しい人生を歩むというものです。
どちらも前世、あるいは過去の行ないに応じて果報があるという意味で、再び現世でやり直しができる人というのは、前世でも良いことをした人であり、再び良いことをすることが認められた人だけのような気がします。
もし、現世で悪いことをすれば、あの世で地獄に行くのかどうかは知りませんが、恐らく再び現世に戻ってやり直しを行えるとは思えません。やり直しができない、ということが、悪い行いをした人への報いのような気がするのです。
それに対し、現世で良いことをすれば、あるいは、良いことをしている途中、道半ばな人は、きっと再び、生まれ変わって新しい人生を与えてくれるのかも知れません。
しかし、私のような無宗教のような人間は、現世がどうのだとか、来世がどうのだとかということを考えても仕方ありません。
私が、仏教だけでなく、キリスト教も、イスラム教にも関心があるのは、その哲学的な思想です。
神の存在や、仏のあり方というのは、私にはわかりませんが、教えという哲学的な考え方には、賛成できるものや、感銘できるもの、あるいは、これからの生き方に参考になるものなど沢山あるのです。
例えば、チベットにおける法王制度が、世襲制でもなければ、選挙で選ばれるわけでもなく、輪廻転生で選ばれるというのは、北朝鮮のように、限られた一族による世襲よりも遥かに人間的な魅力を感じます。
世の中には、偶々偶然ということがありますが、私の妻の母親が亡くなった時、それから僅か数週間後に、妻が妊娠したことが判明したのでした。
それまでの妻は、大学病院で不妊治療を何年もしており、妊娠したのは奇跡的なことでした。あの時ほど、母親の生まれ変わりではないかと、思ったことはありませんでした。
このようなことは偶然なことかも知れませんが、人生を生きていると不思議なことに、このような偶然や、あるいは奇跡のような出会いというのがあるものです。いえ、正確に言うと、そのような経験をする人が世の中にはいるということなのです。
もし、そのような経験や体験をしたことがある人は、意外にも、そのような奇跡や偶然というのを信じている人のほうが多いのも不思議なものですね。
(次回に続く)
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投稿者 :堀田信弘: 2011年3月 9日 05:54