【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


悲しい出来事  「活・喝・勝」


人間の本性とは

実力がないことは、自分自身が一番知っているはずなのですが、そこに他人との関わりが生まれると、自分の実力のことなどどことやらで、他人を基準に自分のことを考えるようになってしまうものです。

このような状況になった時、人間には、二種類のタイプに別れるような気がします。

簡単に言うと、磁石のプラスになる人と、マイナスになる人の2タイプです。

一方は、他人の状況を聞いて、知って、その状況と同調しようするタイプです。それに対し、もう一方は、他人の状況を聞いて、知って、その状況に反発するようなタイプです。

前者は言い換えれば、自分の実力を知っているからこそ、自分よりも弱い立場の人を理解できるとも言えることでしょう。つまり、相手がマイナス状況であることを知ると、プラスの磁石のように、スムーズに相手の話に耳を傾けられるのです。

一方、後者は、自分の実力を知っているにも関わらず、自分よりも弱い立場の人を見ると、急に高飛車になり、あたかも自分の実力があるかのように振る舞うのです。

つまり、相手がマイナス状況であることを知ると、マイナスの磁石のように反発し、相手よりも自分のほうが上だというようになるのです。

このようなことは、通常時には誰しも冷静になっていますから、あまり極端に現れませんが、自分の置かれた状況が厳しい時ほど、顕著化するものなのです。

例えば、火事になった時。誰でも自分は、自分のことで精一杯です。自分の今の体力を考えれば、とても他人を構っていられるような状況ではありません。多くの人は、急にパニック状態の火事に遭遇すれば、誰でもそのような状況になるのは自然なことです。

しかし、そのような場面でも、必ず人間には心があります。体力がない自分が背負って他人を助けようというのではりません。

ある人は、走ることができない人を追い抜くたびに、「これなら自分は助かるかも」と相手との相対関係と比較して、優越感からそのような感情が生まれるかも知れません。

これは、他人を助けるとか助けないとかではなく、他人の様子を見て、自分のほうが走るのは早いので、助かるかもと期待感を持つことなのです。

誰も、生き残るのに必死な状態ですから、他人に構っていられる状態ではありません。しかし、先日のニュージーランド大地震を見る限り、必ずしも、他人を押し述べようとした人ほど助かっているとは言えないのです。

不思議なことに、あのような大地震に見舞われ、誰しもが恐怖と苦しみのどん底の中にいるのに、それでも、他人のことを気遣うことができる人がいるのですね。

火事の話に戻れば、走ることができない人を追い抜くたびに、「この人のことも何とかできないものか」と後ろ髪を引かれるような思いがするのです。

もし、この人と共に進めば、折角自分は走ることができるのに、自分まで犠牲になってしまいます。そのような状況下の中で、人間はどう考えるのでしょう。

少なくても、通常の人は、手助けしてあげるなど到底できないかも知れませんが、恐らく、追い抜くたびに、「これなら自分は助かるかも」と相手との相対関係と比較して、優越感を感じることなどないはずです。

これが通常の人間です。

しかし、この例は、あまりにも極端な状況で、死ぬか生きるかの場合の話です。しかし、実は日常の中でも、この通常の人間と、そうではなく、相手との相対関係と比較して、優越感を感じ、相手には構っていられない、あるいは蹴落とそうとするタイプがいるのです。


実はこのように書くと、蹴落とそうとする人は、いかにも悪そうな人に思えることでしょうが、実際にはそうではありません。

私がここで言いたいことは、人間の欲という観点からすると、むしろ、私たちの大部分はこのようなタイプであるということなのです。

多くの人間は、特に、厳しい状況に置かれたり、余裕がなくなったりすると、他人のことなど構っていられなくなるのです。このような事象は、普段の仕事をしていても、直ぐに見分けられます。

自分の仕事が一杯で、精神的余裕もなく、時間もなく、慌ただしい時に、隣の人が困っていることなど目に入るはずなどないのです。これは自然なことなのです。それが普通の人間なのです。

日常でもそのような人が大半なのですがから、生きるか死ぬかのような状態で、他人のことなど考えられるはずなどないことでしょう。

私が、『走ることができない人を追い抜くたびに、「これなら自分は助かるかも」と相手との相対関係と比較して、優越感からそのような感情が生まれる』と述べましたが、それは、私も含めた大半の人間の姿なのです。

私は、そんなことはない、と言い切れる人は、どれほどいるでしょう。

では、そのような人は、日常の中でも、他人の状況を聞いて、知って、その状況と同調しようするように、弱い立場の人のことを理解しているでしょうか。

さらに、自分だけが山ほど仕事が積っていても、隣の人が困っていたら手助けすることができるでしょうか。

私には、そう簡単にはできません。

私は、社長という立場で、何百人もの社員のことを差別なく平等に考えてあげなければならない立場でありますが、現実には、自分のことで精一杯になってしまうことのほうがしばしばです。

これまで何年もかの間、朝6時から働き、昼食抜きで、そこまでで通常の人の一日分の仕事をしています。自分では、それくらいのペースで処理しないと、とても無能を補うことができないことを知っていますから、毎日そのようにしています。

しかし、そのような走りっぱなしの状況では、精神的余裕がないのも事実です。色々なことに気配りをしたり、ゆっくりと精神を整えてじっくりと考え時間も必要なのですが、そのような余裕がありません。

つまり、火事場の中を、ただ走り回っているだけなのです。そのような中で、声をかけられても、十分に親身になって相手のことを考えてあげられるかというと正直簡単ではないのです。

これが普通の人間なのでしょう。しかし、ニュージーランド地震で助かった人のインタビューを聞くと、多くの人が、自分のことだけでなく、他人のことも気遣っています。

だからこそ、そのような人は助かったとも言えるのかも知れません。

(次回に続く)

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投稿者 :堀田信弘: 2011年3月15日 05:56