東北関東大震災が発生して10日ほど経とうとしています。毎日、被災地から様々な情報が流れてきますが、見るたびに胸が締め付けられるような思いになります。
ある人は、家を失い途方に暮れて、悲しさで一杯であるにも関わらず、周囲の人を励まし、先頭に立って物資の搬入作業を手伝っている人もいました。
また、地震直後、町職員らと役場前で行われていた対策会議で、災害対策の陣頭指揮をしていた岩手県大槌町の加藤町長は、その後発生した津波にのみ込まれ亡くなりました。
「津波が来るぞ。早く避難しろ」と加藤町長は職員に叫んで回り、全員に屋上に避難するように指示しました。
先に屋上に出た副町長が振り返ると、階段を上ってくる加藤町長が2階に差し掛かったところで、濁流が一気に押し寄せ、加藤町長をも飲み込んでしまったそうです。
加藤町長は、町民から真面目な人と慕われ、『小さくてもキラリと光る町をつくりたい』が町長の口癖だった」そうです。
大槌町は町のリーダーを失い、復興の陣頭指示をする人がいません。しかもトップ不在が長期化しそうです。公職選挙法では首長死亡の場合には、50日以内に選挙しなければならないようですが、津波で選挙人名簿が流失したうえ、行方不明者が多く有権者数を確定するのが容易ではないからです。
私たちは、今回の震災で、何を感じ、何を学び、何を得れば良いのでしょう。復興とは言っても、失ったもの、無くなったものを取り戻すことはできません。もう2度と、3月11日より前の状態に戻ることはないのです。
加藤町長が願っていた『小さくてもキラリと光る町』とはどのような町だったのでしょうか。
私も、加藤町長と同じく、企業でも、『小さくてもキラリと光る会社』というのを目指せればと思っています。
そのキラリと光るのは、そこで働くことの楽しさや、その会社でしかできないこと、その会社ならではのこと、など、少しでも他と違ったことに挑戦できる会社になればと思っています。
しかし、キラリと光るには、キラリと光っているものを見ることや、知ることが重要です。
例えば、一流の料理家は、一流の味を知っていると言われています。何が美味しくて、何が一流かを知っていなければ、一流の味を作ることができないのです。だから、有能な料理家ほど、暇を見つけてはお店を周り、本物の味を探して求めているのです。
「学ぶ」の語源は、「まねる」だということを聞いたことがあります。
一流の料理家ほど、一度食べた味を忠実に再現すること試み、まねるのです。完全にまねることができるようになったら、次にその味を越える自分流の味を創り出す、それが学ぶということなのでしょう。
ビートルズも、はじめはコピーをするところから練習しています。素晴らしい曲の、難しい楽曲の練習を行い、それをクリアーすることで、そしてそれを越えようとするから、自分流の創作に挑戦できるのです。
一流を知り、本物を知ることが、挑戦への第一歩なのでしょう。考え方や生き方が多様化する現代では、これが一流だという一意的なものはありません。
だから、常に一流を求め、色々な経験をしたり、旅をして見聞をしたりすることが重要なのです。常に一流を追い求めることが、一流への道なのでしょう。
常にまだまだという気持ちを持って、追い求め、もっともっと上には上がいて、その人と出会えることが、一流の仲間入りができるというものでしょう。
そのように考えると、私は、まだまだ真剣にまねることが出来ていないかも知れません。自分が知る限りの最高の経営者の考え方ややり方を、曲を弾くのをまねるように、完璧に演奏できるまでにはなっていないです。
最初から難しい楽曲を弾けるようになることはできません。少しづつ、技術的にも簡単な曲から、覚えやすい曲から弾けるようにして、楽譜も見ないでできるようになるようにすることが第一歩なのです。
そして、その次には、もう一ランク上の曲に挑戦し、そしてそれを繰り返すのでしょう。その中で、自分が気に入った曲や、自分のイメージにあった曲が出て来ることでしょう。
もし、本当に上達すれば、コンクールに出場し、そこには、自分よりも遥かに上手な人がいることを知ることになるでしょう。
どんなに完璧になるほど苦労して練習したとしても、自分を上回る人がいて、それにショックを受けることは、自分の未熟さを知る意味でとても良いことでしょう。
そして、その悔しさをバネにさらに練習をします。その悔しさが強いほど、自ら進んで練習することでしょう。
しかし、多くの場合、自分自身に妥協をしてしまいます。
例えば、寝ずに練習し、クタクタになったとすれば、そのクタクタになったということで、自分自身に満足してしまうのです。
しかし、考えてみれば、クタクタになろうとも、上達しなければ意味がありません。誰よりも多くの練習をしたからと言って、その練習量に比例して上達している訳ではないのです。
でも、だからと言って練習量が少なくても良いかと言えば、それも違いますね。誰にも負けないくらいの練習をすることは重要なことです。しかし、最も重要なことは、自分自身に負けないことなのでしょう。
勝負する相手は、他人の誰かではなく、自分なのかも知れません。自分との戦い、自分の気力との戦いに打ち勝つことができるか、それが勝者になるのでしょう。
しかし、そのように自分を追い詰め、自分自身と戦うことができる人などいません。
そんなに強い人などいないのです。
いない、だからこそ、そのような人は、一流になったり、あるいはリーダーになったりするのでしょう。
しかも、イチロー選手を見てもわかるように、本当に一流の人は、他人から一流と認められても、決してそこで立ち止りません。
常にまだまだという気持ちをもって、もっともっと上を目指し続けることができるのです。
つまり、まねるから始まって、学ぶということは、終わりのない戦いを歩み続けることができるかということなのでしょう。
私も、『小さくてもキラリと光る会社』の実現に向けて、少しづつでも歩み続けられればと思っています。
(次回に続く)
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投稿者 :堀田信弘: 2011年3月23日 05:58