今日からちょうど一ヶ月前の今日、栃木県那須塩原市内の特別養護老人ホームで入居していたコント55号の坂上二郎さんが76歳で亡くなりました。
私は小学生の頃、『コント55号のなんでそうなるの?』を見た記憶があります。その頃、私の家は、4.5畳と6畳の二間でした。
4.5畳の部屋がメインダイニングで、部屋の中心には『コント55号のなんでそうなるの?』に出てくるのと同じようなちゃぶ台が置いてありました。
我が家ではまだ白黒テレビでしたが、家の真ん中にあり、そのテレビの正面に父親が座って食事をしながら、テレビを見ていました。
夏場、台風が来ると、直ぐに停電になりました。子供の頃は、怖いというよりも、幼い妹と懐中電灯を取り合って遊んでいたような記憶があります。
その頃、停電は、数ヶ月に一度くらいの割合で起きていたのでしょうか。懐中電灯とロウソクは常備されていたようです。
冬は、大雪が降って、水道が凍結してしまったことがありました。
私と父親は、雪をお風呂に入れて、それを沸かして入りました。雪を入れて入ったお風呂は、今でも鮮明に記憶に残っています。とても楽しくて、わくわくしたような感じでした。
母親は、七輪に石炭を入れて魚を焼いていました。電気が止まったり、水道が出なかったりと大変なはずですが、キャンプ生活のように楽しんでいました。七輪で焼く魚はの匂いは、とても美味そうでで、パタパタと団扇を仰いで楽しんでいました。
また、当時は、七輪で使った後の石炭を、カイロに入れて湯たんぽの代わりにもしていました。電気毛布などない時代ですから、足をくっつけて寝ていました。
あれから、40年ほど経ちました。
明日で、東日本大震災が発生して、一ヶ月になります。一ヶ月前の今日、つまり、坂上二郎さんが亡くなったというニュースを聞いた時、まさか翌日の午後に、あのような大規模な大震災が起こることなど全く想定できませんでした。
翌日から、40年前に『コント55号のなんでそうなるの?』を見ていた当時と同じく、停電になったり、水道が断水になったのです。
しかし、40年前とは異なり、全てのものが電気が必要となっていました。電気が止まっても通じるはずの電話も、光インターネット電話にしたお陰で、全く使えませんでした。
我が家のお風呂は、灯油によるボイラー方式ですから、水を貯めてもガスが出ても、灯油があっても電気が通らなければ沸かすことはできませんでした。
私たちは、この40年間で、文明が発展し、豊かになった分、生き抜く力は弱くなったようです。
今、日本は危機的な状況です。しかし、このような危機は、歴史上何度も経験しているはずです。遊牧民がである
1923年9月1日の関東大震災もその一つでしょう。死者は14万人を越えたそうです。今回の東日本大震災の10倍以上です。
しかし、このような危機だからこそ、チャンスもあるものです。
三島海雲という人を知っていますか。
雑貨商「日華洋行」という会社を設立した人です。
お寺の住職の長男として生まれた彼ですが、仏教大学を中退して、北京に行きます。そして、その後、中国と日本との貿易を行う日華洋行を設立します。
ある時、内モンゴルに入った三島は、内モンゴルの遊牧民の活力の源となっている飲み物と出会います。
遊牧民たちが毎日のように飲んでいた 酸っぱい乳を口にしたところ、その美味しさに驚きを受けました。長旅ですっかり弱っていた胃腸の調子も整い、体も頭もすっきりしてきたのです。
その酸乳を日常的に摂取しているモンゴル民族のたくましさに驚き、自らも酸乳の健康への効果を体験し、その力を実感しました。
しかし、その後、辛亥革命が起こり、全ての財産を失って、日本に帰国することになります。
帰国後、日本で流行り始めていたヨーグルトを試食する機会がありました。しかし、そのヨーグルトが、内モンゴルで飲んだ酸乳よりも美味しくないことを感じ、当時のヨーグルトよりも美味しくて、健康で体に良いものを提供しようと考えます。
そして、内モンゴルの飲んだ酸乳の研究を重ね、醍醐味合資会社を設立しました。
その後、生きた乳酸菌入りキャラメル「ラクトーキャラメル」を発売するラクトー株式会社を設立しますが、失敗に終わります。
やがて、カルシウムに糖分と酸乳を混ぜた乳酸菌を発行させた酸乳を作ります。
三島は、住職の子だけあって、出来上がった商品の名前を、美味しいということを表す梵語(仏教用語)であるサルパスという言葉を用い、カルシウムと掛け合わせ、商品名をカルピスに、会社名をラクトーからカルピスに変えました。(現:味の素の子会社)
しかし、その後1923年9月1日の関東大震災が起き、人びとは飲み物に困ります。三島は、酸乳が、内モンゴルの遊牧民の活力の源になっていることから、被災した人びとにカルピスを配ることで、体力を回復してもらおうと思いました。
トラック何台分ものカルピスを無料で配り、カルピスが体に良いことを訴えて回ったのです。
まさに、ピンチの時にチャンスありで、たちまちカルピスは国民の飲料水として浸透することになっていったのです。
今、日本も、それに伴う日本経済も、そしてその中で活動するわが社も最大の危機を向かえています。
しかし、ピンチの時にでも、必ずニーズはあります。ニーズがあるということは、チャンスがあるということです。
ニーズがないものをいつまでも追いかけても仕方ありません。ピンチだと言って、リストラだけしていても、チャンスに変えることは絶対にできないのです。
ピンチをチャンスに変えるということは、挑戦するということではないでしょうか。
(次回に続く)
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投稿者 :堀田信弘: 2011年4月10日 05:35