あの人とは価値観が違うという人がいますが、そもそも価値観とは何なのでしょう。あるモノを見た時に、同じ価値観を持つということでしょうか。辞書で価値観を調べると、『いかなる物事に価値を認めるかという個人個人の評価的判断。』とあります。つまり、価値観が違うということは、物事に対し、一方は価値を認め、... (⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2010年6月30日
行動するということを、突き詰めて考えてみると、出会いとでも言えるのではないでしょうか。例えば、新しい何かを身につけようとします。最初の行動は、本を読んで知識を得ようとするところからかも知れません。それなら誰の力も借りずにできるでしょう。次に、どこかのスクールやサークル、あるいはセミナーに参加しよう... (⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2010年6月12日
キリストは、「悪人に手向かってはならない」。「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」という戒めの後に、「誰かが、あなたの右の頬を打ったなら、左の頬を向けなさい。」と言っています。キリスト教の観念の根源には「許すこと」があります。過ちや罪や悪行を決して忘れてはならないが、それは許されるべきであ... (⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2010年6月 8日
嫌われるとか、嫌われないとか考えているようでは、リーダーシップも、自分らしさも、発揮できないのです。もっと言えば、自分の評価を気にして八方美人に振舞うことがリーダーではないのです。好かれる、嫌われるというのは、結果であって、好かれるためにするのではなく、嫌われるからやらないというのでは、リーダー... (⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2010年6月 6日
アメリカやヨーロッパでは、親が子供を殺すというような個人的な"小さな事件"は、ローカルニュースで報道されており、そのような事件は、日本以上に珍しいことではないのです。それよりも報道する側は、国民全体に関わることや、世界情勢など、多民族が住んでいるということを前提に、大きな視点、大きな視野に立... (⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2010年5月 5日
経験をすることは、とても重要なことです。様々な経験によって、人間は鍛えられるのだと言って良いでしょう。仏教における精神の鍛錬の一つに修行があります。修行は、人間の欲望から解放され、生きていること自体に満足感を得られる状態するために行われます。人間の苦しみの根源は、欲であるということから、そ... (⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2010年4月25日
理想を追い求めると言いながらも、現実にはその理想の高さには、永遠に到達しません。到達しないから目指すべき理想でもあるのです。目指すべき理想への過程において、周囲と比べて、自分のほうが現実よりも高い位置にいると錯覚してしまうようなことがあります。これは完全な自惚れです。自分も理想への過程でも... (⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2010年4月19日
ベトナム人社員を日本側で受け入れるために、会社から徒歩数分という都心の日本橋にマンションを借りました。もちろん真新しい生活用品も用意しました。初めて日本に来るベトナム人にとって、マンションでの生活は、ベトナムの一流ホテルのように思えることでしょう。電子レンジ、テレビ、DVDデッキ、冷蔵庫、エアコン...(⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2010年4月 7日
浄土真宗は、親鸞が開祖したということは学校の授業で習ったから知っているようなもので、浄土真宗がどのようなものであるかなど全く知識がありませんでした。親鸞と言えば、僧侶として最初に肉食妻帯を敢行したことで知られています。型破りなことをした僧ですから、世間からは非常識だと批判されたかも知れませ... (⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2010年4月 5日
4月1日、東京では、桜の花が満開になろうとしています。6年前に見た桜も、今年の桜も変わりなく綺麗です。小学1年生だった末娘は、今月から6年生になります。今日まで投稿した記事は820を越え、もう7年目を迎えようとしています。これまではいつも『怒』を中心に言いたい放題、思うままに好き勝手に書いてきました... (⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2010年4月 1日
今あるこの苦しみは結果であって、それには必ず原因がある。この世で起こることで、原因のない結果はない。これは、仏教が説いている因・縁・果・報。私はこのことを『これがあるとき、かれがある。これが生じるとき、かれが生じる。これがないとき、かれがない。これが滅するとき、かれが滅する』と釈迦の言葉を『縁起... (⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2010年3月12日
先日、ある人を病院に見舞いに行った。彼は、「夜になると眠れない」と言っていた。病気の痛みが辛いから眠れないのではなく、病気が治るかを考えて不安で眠れないのだと。「体が辛いのではなく、不安なことのほうが辛い」と彼は続けた。あんなに明るくて、元気な人だったのに、とても弱々しく見えた。病は気からと言... (⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2010年2月20日
私が起業した年の元日、『私の目指す組織』の中で、『"真の友"となれる、人生観や価値観といった難しいものだけでなく、遊び仲間や、飲み友達など、何かひとつでも友人として、会社や仕事を離れても付き合える友とタッグを組みたい。』と書いた。私はそれ以来、社員を単なる部下としてではなく、仲間として意識する... (⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2010年2月18日
『私には、辛抱の先には未来が見えるが、我慢の先には不満しか見えないのだ。未来が見えるものに対しては、私はそのためには何とかしようと、辛いこと、苦しいことに耐え、何とか抜け出そうと必死になれる。しかし、未来が描けないものに対しては、我慢ならない。』これは、かつて私が書いた『辛抱と我慢』の一文で... (⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2010年2月 2日
難題の無い人生は"無難"な人生。 難題の有る人生は"有難い"人生。 とは、今話題の筆談ホステス、斉藤里恵さんの言葉だ。なるほど、と思わせる深い言葉である。世の中には、何もない無難な人生さえも送ることが困難な人が沢山いる。しかし、考えてみれば、何もない無難な人生が、有意義な人生かと言えばそう... (⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2010年1月29日
今から12年前の1998年2月、長野で冬季オリンピックが開催された。それからさらに12年前の1986年4月、チェルノブイリ原子力発電所の事故が発生した。私が社会人になった年だ。私の父は、寅年生まれ。生きていれば、今年で72才になる。父が亡くなって、今日で14年が経った。父は、満60才の寅年を迎えることな... (⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2010年1月25日
否定をするということは、拒否をすること、受け入れないこと、認めないことである。否定をするということは、否定をする材料がないと否定できない。材料は、否定をする人が用意したものではないことは明白だ。自分は、肯定するか、否定するかの選択をするのみで、自分から材料を出したのではないのである。アメリカの... (⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2010年1月11日
「幸福だから笑うわけではない。笑うから幸福なのだ。」これは、フランスの哲学者アランの言葉だ。アランは言う、「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである。」と。私は、『経営者は悲観的楽観主義者だ』の中で『楽観主義者とは、前向きな考えを意志的に行う人である。能天気な楽観者とは違う。... (⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2009年12月31日
当時私は、スーパーコンピュータのシステムエンジニアだった。そして、学生時代の18才から付き合った同い年の彼女は、小学校の教師になっていた。その二人が、二十年前の今日、結婚式を挙げた。知りあってから既に7年が経っていた。結婚式の費用は、全て自分自身の貯金から出した。親からは意地でも一銭も...(⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2009年10月 8日
『浮けば飛ぶような 将棋の駒に 賭けた命を 笑わば笑え 生まれ浪花の 八百八橋 月も知ってる 俺らの意気地』は、村田英雄の王将の一節である。"俺らの意気地"とあるが、これは何と読むであろう。"いきじ"と読む。参考までに、"いきじ"と入力して漢字変換しても、"意気地"は出てこない。"いきじ"... (⇒続きはこちらから)
悲しい出来事 |2009年8月27日